noises of photos デジタル時代の写真=写心論考
実は、
好きな写真というものはあっても
好きな写真家というのは、ひとりもいないのだ
おれは、言葉の多い写真家というのは基本的に、大嫌いである
言葉の多いヤツが写真家になるのはかまわんが
一度写真家となったら、もうしゃべるべきではないという気がする
まぁともあれ
岡本太郎氏は写真家ではないが、同じ視覚表現者ではある
それでもやっぱり突き抜けていて、フツーの表現者とはチガ。
その岡本太郎氏の言葉に、こんなのがあった
『 絵は、どんなにデフォルメしても、自分の分際でしかない。
写真は、自分が想像していなかった、
自分を超えたものが出る。
そういうチャンスをうんともてる人間が強いんだ。 』
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・・・う~む、どういうことなんだ?
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なんとなく並ぶ本の
背表紙を見て
楽しむ
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私はブランド物というのがキライである。
評価が既に確立したものなどを手に入れて
それで面白かろうか
と思うのだ
誰も見向きもしないような三流品
その中からキラリと光るものを見つけ出す
普通なら使えないかも知れないが
こんな使い方をすると
素晴らしい能力を発揮することを見出す
そういう発見者でいたいと思うのだ
が
単なるケチなだけなのかも知れない(笑)
その私がつい買ってしまった
Carl Zeiiss
と言っても、ウェブカメラのそれ
ウェブカメラを買いに行ったが
まぁあれこれあって、さっぱり分からん
知り合いにウェブカメラを使っているヤツもおらん
都合、自分で二台買って、別々のパソコンにくっつけて
あれこれ試してみるしかない
ということにあいなった
どうせ買うなら全然チガウやつにしようと思い
一台は超安物を、もう一台はコレを買った
ぜんぜん違うのである。もう同じ「ウェブカメラ」というくくりで
一緒くたにしていいものかさえためらわれる
安物のほうは、そりゃあもうやすもんである
いかにもウェブカメラである
画面ぐちゃぐちゃ。犬かネコかの区別も危うい
一方のCarl Zeissは、これはもう、不要なぐらいに
きれい過ぎる
パソコン画面に映る自分の顔を見て
おれはこれほど二枚目だったのか
と思った
思ったのであるが、しかしこれほどくっきり写るとなると
とりあえず、目やにあたりも見えそうな気がするので
洗面しておかんといかん気がする
整髪
当然
部屋の片付け
当然
これは
しんどい
う~む、どっちが正しい選択なんだろう・・・・
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ライオンに。
ライオンにカメラを渡して、それで写真を撮ってきてくれって頼んだとする。
きっとそのライオンは、仲間のライオンの、意外なほどに優しい表情とか、意外なほどに悲しげな表情とかを撮ってきたりすることだろう。
ウサギに。
今度はウサギに同じカメラを渡して、ライオンの意外な表情を撮ってきてくれと言ったとき、さてウサギはどんな写真を撮ってくるだろう。
ウサギには、ライオンと同じような写真は撮れまい。それはウサギがライオンではなく、ウサギだからだ。
もしそのウサギが、自分がウサギであることの限界に我慢できないと考えたら、ライオンの群れに向かって突撃し、場合によっては自分を食べようとするライオンの、がっと開いた口や血走った表情を広角で撮り、名作を生むかも知れない。しかしその時その撮影現場には、カメラだけが放置されていることだろう。
それとも気の弱いウサギなら望遠で撮り、そのためその写真は盗撮的だと言われるかも知れない。しかしウサギが撮ったのなら、それはそれで仕方がない。ウサギは一所懸命に撮ったのだ。
もう一度、ライオンに。
別のライオンは、ひょっとすると写真がとてもヘタで、全部ぶれててボケてて、最初のライオンに嘲笑されるような写真しか撮れないかも知れない。ライオンにもいろいろいるのだ。
さて、いったいどの写真が優れた写真と言えるか。
20世紀の巨人・岡本太郎氏は、「絵は内容ではない。誰が描いたかが重要なんだ」とおっしゃっている(と思う)。
この観点からすれば、ウサギが望遠で撮った盗撮的な写真こそが優れた写真と言えるのかも知れない。
つまり、主題と主体との関係性の問題なのだ。
主体と主題(対象)との関係性が重要なのだというのは、実はわりと経験しているものなのだ。
テレビ画面上でのことなのだが、そのとき画面には、ある展覧会の様子が写っていた。特徴的ではあるが、技術的にはむしろ拙劣な面が目立つのではないかと思える風景画が何点も展示されていた。テレビはそれをゆっくりと次々に大写しにしていっていた。
ナレーションを聴いてぶったまげた。なんと、画家は目が見えないのだという。
それを聴いた瞬間、全ての絵がなんと生き生きとした光を放って見えたことだろう。
別の機会には、やはり目の見えないひとの撮ったスナップ写真展が紹介されていた。同じ感動がそこにはあった。
「愛」という字がそこに書かれていたとする。ヘタな字で。
それを誰が書いたか。
ひょっとすると、外国人か。
漢字を知らないであろう幼稚園児か。
それとも・・・あなたの愛する人か。