noises of photos デジタル時代の写真=写心論考
去年の夏ごろのことだったが、たまたまテレビに映っていた絵画に非常に惹かれ、気になってしょうがなくなり、ついに晩秋の11月19-20日の二日間、東京・上野の西洋美術館を訪れるという愚挙に出た。遅くなったが、メモ書きをもとに感想をレポっておくことにする。
なにしろ、絵の展覧会へいくなどとは、大学時代のデート以来のことである。普段、興味関心などはさらさらない。まして展覧会会場は東京である。遠い。しかし是非、本物をこの眼で見ておきたいと思ったのだった。
出不精のワシを東京まで一泊二日の旅に誘い出したその画家の名は Vilhelm Hammershøi 。
=まずはフェルメール=
写真ってやつを考えるときに、フェルメールは巨峰である。作品が、写真以上だからである。写真的であるが、写真以上のチカラで見る者に迫ってくる。
いったいなぜか。ならば我々写真愛好家が、いま写真に付け足すべきものは何なのか。あるいは写真から削ぎ落とすべきものは何なのか。写真表現とはいったい何なのか。そういう根源的な問いかけが、そこにはある。
フェルメールの時代には、今に言うカメラは当然存在しておらず、ただ、その原型とされる「カメラ・オブスクーラ」といわれる仕組みだけがあった。
この絵は、作家・画家の赤瀬川原平氏がその著書「名画読本」で示されたものである。赤瀬川氏は、フェルメールはおそらくこのカメラ・オブスクーラを駆使したであろうとされているが、ここで注意しておきたいのは、カメラ・オブスクーラの場合には、現代版カメラのようには、画像を紙・フィルム、あるいはデジタルデータのようなかたちで記録として保存できない、という点である。ただその場で、視覚に一定の変容を与えるだけである。
さてここではこれ以上フェルメールの技法について触れる必要はないと思う。フェルメールについて触れたのは、ハンマースホイが紹介される際には必ず「フェルメールを思わせる、静謐で古風な室内表現」云々というように、フェルメールとの共通性を指摘する声が多いからである。そしてもちろん、そういうように言われるまでもなく、ハンマースホイの作品に触れれば、おそらくほとんどの人がフェルメールを想起するであろうからである。
ハンマースホイに触れれば、フェルメールを理解する糸口がみつかるかも知れない。そう思って私は東京へと旅立ったのだった。
= 最初の印象=
仮に、一枚あたり0.5秒程度、それぞれの絵に一瞥をくれるだけで、展覧会場を超高速で駆け回ってきたとしたら、その感想はきっと、こんな感じになっただろう。
「優しい色使いの絵ね。」
「フェルメールを見習ったんだろうな。」
「静かな絵だわ。」
そもそも展覧会の副題にも『静かなる詩情』とある(笑)。つまり、「別にどってこたない」のである。人畜無害のような印象を受ける。こんな感じの室内風景画が、とくに代わり映えすることもなく、何枚も何枚もならぶ。
これほどに、見ているものをして飽きさせるほどに同じような絵を描き続ければ、そりゃ一枚や二枚(実際にはもっとだが)後世に残るものも描けるわなと、ちょっと意地悪な見方をしたくなったりもする。特別な「見所」を発見できないのである。
むしろ、ハンマースホイの展覧会に、オマケのようにして飾られた、同時代の二人の画家、Peter Ilstedピーダ・イルステッドとKarl Holsøeカール・ホルスーウの絵のほうが、印象は強い。
著作権への配慮でもって、画質を思いっきり落としてあるので、興味をお持ちの方はそれなりの画集で、あるいは本当は実物を見て確かめてほしいのだが、見所満載のこれら二人の作品には、私のような絵画素人にとってとても分かりやすい、言わば『完全な美』が存在している。イルステッド、ホルスーウの二人と比べると、ハンマースホイは格段に意味が不明である。帰ってから読んだ解説書によると、三人の時代に高い評価を受けたのは、やはりハンマースホイ以外の二人だったとある。
ここでずばり、ハンマースホイは世間一般からは下手糞扱いされていたのだとしよう。ところが、ハンマースホイが室内画で描き続けた後姿の女性は、イルステッドの実妹のイーダなのだという。イルステッドは実妹を、「自分より評価の低い」ハンマースホイに嫁がせ、そして上の絵からもわかるとおり、ホルスーウとともに、ハンマースホイからその作風において強烈な影響を受けている。
そのハンマースホイがこの21世紀初頭に、その真価を認められはじめた…ということらしいのだが。
結局私は予定を変更して、翌日もういちど上野の西洋美術館を訪ねた。いくらなんでも、落ち着かないのである。ハンマースホイの魅力の根源は、いったい何なのか。もうちょっと実物を見ておきたいと考えたのだった。
繰り返すが、私は絵画については素人以下である。モナリザなども、絵画集などを見てわかった気になっている。モネとマネとの区別もできない。その程度の知識しかない。
その私をして、「もうちょっと実物を見ておきたい」と思わせただけでも、実はハンマースホイ、相当のものである(笑)。ここでは適当に、分かる程度にの写真を掲載しているが、言うまでもなく、実物の迫力はすさまじいものがある。画家がダイレクトに描いたその作品をまたダイレクトに見る。それはそのまま、作家との対話であるとさえ言える。それはかみ合わない会話なのかも知れないが。
私と同様の、絵画素人の方には、どんな作品でもよいので、やはり実物をきちんとごらんになることを強くお勧めする。印象はまるきり違ったものになる。
さて、案外ハンマースホイを解く鍵になるのは、「チェロ奏者」と名づけられたこの作品かも知れない。
これは、チェロ奏者側から依頼されての肖像画であるということである。このようなサムネイル画像からはさっぱり分からんと思うが、実物を見れば一瞬で、これは「チェロ」の絵であって、「奏者」の絵ではないと分かる。チェロについてはフェティシズムかと思われるほどに、肉感とも言える質感をもって描かれている。一方のチェロ奏者に関しては、その描写はもう、投げやりである。
ハンマースホイは、雑誌のインタビュー(ハンマースホイは20世紀の画家であることは忘れてはならない)で、知らないひとを描くのは好きにはなれないと答えたらしいが、それにしても、これはないだろと言いたくなるような描き方である。私が依頼主なら、このような肖像画は破り捨てたことであろう。そういう意味では、この絵が後世に残ったのは、依頼主がよほどの人格者であったか、あるいはハンマースホイのことを好きであったかなどなど、創造すればとどまるところがない、非常にヒドイ作品である。上手いのにヒドイのである。
あるいはひょっとして、極端なまでに人間嫌いだったのか。
仮に、ハンマースホイが極端なまでに人間嫌いだったとすると、ハンマースホイの作品の随所に見られる謎が解けそうな気がしてくるのである。
たとえばこの作品だ。
ぱっと見た瞬間、窓を通って入ってくる光の美しさ、またその光を受けて輝く窓の美しさに眼がいくが、しかしこの部屋のとびらには、ドアノブがないのである。部屋の機能の重要ポイントが欠落している。
この部屋は、ハンマースホイによって、何枚も描かれており、作品によってはドアノブは存在している。
そもそも、あれほど大量に描いた女性(妻・イーダ)は、そのほとんどが後姿であって、そういう意味では「顔」が欠落していると言える。やはり重要な要素を、あえて排除している。
もうこうなってくると、絵画鑑賞も楽しいというより苦痛である。心理戦争をやっているのと同じなのだ。
この、中核となる被写体を積極的に排除してみせたということについて、あえて冒頭で触れた写真技術との関連づけるなら、ハンマースホイは当時すでに確立していた写実的写真技術ではかなわない芸当を、やってみせたと言えなくもない。
当時の写真技術では、写したくないものはフレーム外へ追いやるしかなかったのであり、写実性において後塵を拝した絵画に、また一歩、強烈なアドバンテージを与えたのがハンマースホイだという分析も可能なのかも知れない。しかしそれではあまりにつまらない。むしろ、生涯のほとんどを、同じ室内の同じ構図の絵を描き続けることに費やしたその精神構造に畏怖の念を抱く。私はハンマースホイのことを、偉大な引きこもり画家と呼ばせていただきたい。
さて、こうして書いていても頭痛がしてくるハンマースホイである。実際に展覧会を訪れてから二ヶ月弱、こうしてレポートを書くことができなかった私の心情も理解していただきたいものである。陰鬱なのである。狂気さえ感じるのである。ただ、それを私は嫌いではない。
ところで、絵とはまったく関係のないことだが、妻・イーダは幸せだったのだろうか。なにしろハンマースホイの室内画のなかでは、ほとんど表情を描かれなかった妻である。描かれたとしても、えらい老けた顔であるいは疲れた顔でしか、イーダは登場しない。
展覧会へ入っていって、最初に出会うのが、婚約時代のイーダを描いたこの作品だった。
実に愛らしい表情をしている。ところがここでも「意図的な描写の欠落」が行われている。イーダの手である。
ぎえっと声を上げて後ろへ飛び退きたくなるほど驚くのであり、ここまでくると一種のオカルトとさえ言えるであろう。なおこの作品は、写真をもとに描いたものなのだそうである。
ぐったり疲れた展覧会体験であった。そしてまた、今も疲労困憊である。ハンマースホイ、偉大である。