noises of photos デジタル時代の写真=写心論考
国立で快速に乗り、そのまま本を読んだりしていれば、乗り換えることなしにお茶の水まで行けた。
国立のもう一つ先には立川があって、それから途中の三鷹あたりにはアメリカン・スクールがあって、アメリカ人の子たちが隣に座ったり、前のつり革につかまっていたりした。
ある日、本から目を離してふと前を見ると、いかにもアメリカンといった風情の女の子がLPを胸に抱えて立ってて、友人とおしゃべりに夢中になっていた。
当時のボクたちにとって、レコードというのはとてもとても大切なもので、とくにボクはオーディオファンでもあったので、ジャケットをむき出しにしたまま電車に乗るなどというのは考えられないことだった。
レコードは薄いシートで覆い、紙ジャケットに入れ、ジャケットをまた厚めのビニール袋に入れ、そしてさらにそれをしっかりしたカバンに入れて運ぶのがボクたちの常識だった。
いま目の前のその子は、LPジャケットを裸のまま、胸に抱いておしゃべりに夢中になっている。
その子の胸に抱かれて、サイモンとガーファンクルが中央線・快速のリズムに揺れていた。