noises of photos デジタル時代の写真=写心論考
写真の基本を滔々と語るひとがいる。
やれ構図である。
ほれ露出である。
いや階調である。
やっぱピントである。
・・・死ぬまでやっとれと思うのだ(笑)。
そりゃ、確かに基本というものはあるだろう。
構図かも知れんし露出かも知れん。
被写体選びかも知れん。
レンズかも知れん。
・・・知らんわ(笑)。
ただ思うに、おそらく基本がいかにカンペキであっても、良い写真はたぶん撮れない。と思う。基本がデキてりゃそれで良い作品が取れるなら、写真教室のセンセは皆写真作家だということになる。ところがこの世界は、そーはなっとらん。
結局、基本ができすぎるほどできていて欠点がない人というのは、結局、人を感動させることができない。 感心はされても。 んな気がする。
良い写真を撮ろうと思ったら、基本は少しぐらい欠けていたほうがいいのだ。
写真に限らない。なんだってそうなのである。
欠点は、あったほうがいいのだ。
ただ、ここが大切なのだが、そのことが 、つまり自分に欠点があることを自覚できているかどうかが、どうにも決定的なカギとなる気がしてならん。 人を感動させるのは、表現者が自分に足りないものがあることを自覚して、そしてそれを克服しようと努力している姿なのであろう。チガウかも知れんが、行きがかり上、そういうことにしておく。
であるとするなら、つまり感動の源泉は表現者のコンプレックスにある、ということになる。劣等感、万歳である。
もっとも、欠点を持ちながらなんのコンプレックスもないという人間が多すぎるので、まぁそういう意味ではしっかりと自戒をせねばならんw。
2006-05-01