noises of photos デジタル時代の写真=写心論考
書店でカメラ雑誌を立ち読みしていたら
『デジカメの疑問』だったか、そんな特集をしている雑誌があった。
なになにどれどれと見てみると、まぁよくあるような
Q デジカメはブレやすいのですか
みたいな質問がたらたら並べられていて、つまんねーなと思ったんだけれども、中に
Q デジカメのバッテリって、いつまで使えるんですか
てな、ちょっと気になる問題に触れているところがあって、読んでみた。
ご存知のとおり、デジカメは、中には単三電池を使用するものもあるが、 単三電池には容量等の問題もあって、多くの機種には専用の電池が用意されている。
これが、メーカごとに統一されていればまだ救われるのだが、機種によっても異なるとくるものだから始末が悪い。
ただ、電池も日進月歩であり、小型化したい。大容量化したいなどの開発側・ユーザ側の希望もあって、 新たな機種が開発されるごとに、新たなバッテリが採用されるのは、まぁ止むを得ないところといえる。
問題は、旧型のデジカメを使っている場合、そのバッテリはいつまで供給されるか、ということである。
この雑誌はそのA回答で、あろうことか、
「まぁなんの保証もないわね」
てな、無責任極まりないことを書いてオシマイにしていた。
バカじゃないか、である。
十数万円もするカメラが、たった数千円のパーツ供給が絶たれたがために不燃ごみと化すということは反社会的なことである。 また、デジカメ産業自体の行く末にもかかわる。
写真雑誌といえども、社会の木鐸のはしくれなのであろうから、せめて各カメラメーカに取材をし、どういうスタンスでいるかぐらいは報じるべきであらふ。
おれが編集長なら、この編集者は
『即、クビ』
である。雑誌報道の何たるかが分かっておらん。 こういう雑誌は、信頼してはいかん。
さて、メーカはどうあるべきであろうか。 確かに何十年もそのパーツ供給を行うというのは、企業経営上のリスクでもあろう。 ま、このあたりはスタンスの問題であるが。 法的な規制もあるはずなのだが、どうなってんのかな。
とりあえず、私が思うに、十年。 十年間のバッテリ供給は保証してもらいたい。 でないと、そんなメーカのデジカメなど、使う気にならん。