noises of photos デジタル時代の写真=写心論考
= 最初の印象=
仮に、一枚あたり0.5秒程度、それぞれの絵に一瞥をくれるだけで、展覧会場を超高速で駆け回ってきたとしたら、その感想はきっと、こんな感じになっただろう。
「優しい色使いの絵ね。」
「フェルメールを見習ったんだろうな。」
「静かな絵だわ。」
そもそも展覧会の副題にも『静かなる詩情』とある(笑)。つまり、「別にどってこたない」のである。人畜無害のような印象を受ける。こんな感じの室内風景画が、とくに代わり映えすることもなく、何枚も何枚もならぶ。
これほどに、見ているものをして飽きさせるほどに同じような絵を描き続ければ、そりゃ一枚や二枚(実際にはもっとだが)後世に残るものも描けるわなと、ちょっと意地悪な見方をしたくなったりもする。特別な「見所」を発見できないのである。
むしろ、ハンマースホイの展覧会に、オマケのようにして飾られた、同時代の二人の画家、Peter Ilstedピーダ・イルステッドとKarl Holsøeカール・ホルスーウの絵のほうが、印象は強い。
著作権への配慮でもって、画質を思いっきり落としてあるので、興味をお持ちの方はそれなりの画集で、あるいは本当は実物を見て確かめてほしいのだが、見所満載のこれら二人の作品には、私のような絵画素人にとってとても分かりやすい、言わば『完全な美』が存在している。イルステッド、ホルスーウの二人と比べると、ハンマースホイは格段に意味が不明である。帰ってから読んだ解説書によると、三人の時代に高い評価を受けたのは、やはりハンマースホイ以外の二人だったとある。
ここでずばり、ハンマースホイは世間一般からは下手糞扱いされていたのだとしよう。ところが、ハンマースホイが室内画で描き続けた後姿の女性は、イルステッドの実妹のイーダなのだという。イルステッドは実妹を、「自分より評価の低い」ハンマースホイに嫁がせ、そして上の絵からもわかるとおり、ホルスーウとともに、ハンマースホイからその作風において強烈な影響を受けている。
そのハンマースホイがこの21世紀初頭に、その真価を認められはじめた…ということらしいのだが。