noises of photos デジタル時代の写真=写心論考
結局私は予定を変更して、翌日もういちど上野の西洋美術館を訪ねた。いくらなんでも、落ち着かないのである。ハンマースホイの魅力の根源は、いったい何なのか。もうちょっと実物を見ておきたいと考えたのだった。
繰り返すが、私は絵画については素人以下である。モナリザなども、絵画集などを見てわかった気になっている。モネとマネとの区別もできない。その程度の知識しかない。
その私をして、「もうちょっと実物を見ておきたい」と思わせただけでも、実はハンマースホイ、相当のものである(笑)。ここでは適当に、分かる程度にの写真を掲載しているが、言うまでもなく、実物の迫力はすさまじいものがある。画家がダイレクトに描いたその作品をまたダイレクトに見る。それはそのまま、作家との対話であるとさえ言える。それはかみ合わない会話なのかも知れないが。
私と同様の、絵画素人の方には、どんな作品でもよいので、やはり実物をきちんとごらんになることを強くお勧めする。印象はまるきり違ったものになる。
さて、案外ハンマースホイを解く鍵になるのは、「チェロ奏者」と名づけられたこの作品かも知れない。
これは、チェロ奏者側から依頼されての肖像画であるということである。このようなサムネイル画像からはさっぱり分からんと思うが、実物を見れば一瞬で、これは「チェロ」の絵であって、「奏者」の絵ではないと分かる。チェロについてはフェティシズムかと思われるほどに、肉感とも言える質感をもって描かれている。一方のチェロ奏者に関しては、その描写はもう、投げやりである。
ハンマースホイは、雑誌のインタビュー(ハンマースホイは20世紀の画家であることは忘れてはならない)で、知らないひとを描くのは好きにはなれないと答えたらしいが、それにしても、これはないだろと言いたくなるような描き方である。私が依頼主なら、このような肖像画は破り捨てたことであろう。そういう意味では、この絵が後世に残ったのは、依頼主がよほどの人格者であったか、あるいはハンマースホイのことを好きであったかなどなど、創造すればとどまるところがない、非常にヒドイ作品である。上手いのにヒドイのである。
あるいはひょっとして、極端なまでに人間嫌いだったのか。